2012年12月21日

高見城跡(その2)

 高見城跡(その1)から続き、二の郭の虎口を出て三の郭へ向かいます。

高見城二の郭虎口外
二の郭虎口前から見た三の郭

高見城二の郭堀切
三の郭から見た二の郭。間の堀切には土橋が設けられていたようです。

高見城三の郭
三の郭は東から西へ向かって登る傾斜地で、南部と北部に平場があります。

高見城三の郭
土塁が確認できる三の郭南部の平場(実測図④)

高見城三の郭
三の郭北部の平場(実測図⑤)

高見城三の郭
登り切った所が三の郭の最も高い場所ですが、同時に四ツ山の最高点でもあるようです。

高見城三の郭堀切
通路は最高点の脇を過ぎると急な下りとなって堀切に達します。ここが虎口のようです。

高見城三の郭堀切
堀切の向こう側から見た三の郭虎口。堀切には土橋と思われる土盛があります。

高見城西端
堀切の先は、自然の尾根のように見えます。道が消えるまで雑木林の中を進んでみましたが構築物は見当たりませんでした。しかし、通ってきた各曲輪の虎口の形からすると、こちらが大手と思われます。

ここから神社参道の石段下まで戻り、犬走り跡に入ってみます。
高見城犬走り

高見城東腰郭
犬走りを進むと現れる腰郭。半ば藪になっていますが細長い削平地であることは分かります。(実測図⑥)

高見城犬走り
腰郭の奥にも犬走りと思われる道が続いているので、更に進みます。

高見城犬走り
道は本郭下の山腹を巻くように続いていますが、先に進むにつれて落ち葉に埋もれて細くなっていきます。

高見城犬走り
二の郭の下あたりで斜面から崩れた土砂により道は消滅しており、そこから先には進むことはできませんでした。

 この城の由来については、本郭跡の解説板に次のように記載されています。

本城の築城年代や城主については不明な点が多いのですが、「新編武蔵風土記稿」では長享元年(一四八七)に没した増田四郎重富の居城と伝えています。また、長享二年(一四八八)及び延徳三年(一四九一)の二度にわたり、城の北東方向の高見ヶ原において、山内上杉氏と扇谷上杉氏による激しい合戦が繰り広げられたと伝えられます。

 近くを通る鎌倉街道上道を押さえる拠点であったと言われており、それを裏付ける本郭からの素晴らしい眺望が印象に残る城跡でした。

posted by ぱぺすけ at 11:06| Comment(0) | 城跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月20日

高見城跡(その1)

 埼玉県小川町の高見城跡を訪ねました。高見城は、標高200m程の四ツ山の山頂付近に主郭を持つ中世山城です。

四津山神社参道
本郭跡には四津山神社が祀られているので、城跡へも神社参道を使います。ここから本郭跡まで比高にして70m程を登ります。

高見城実測図
本郭跡にある解説板に記載されている実測図。丸数字は加筆です。

四津山神社参道
急な坂道の参道を登ってい行くと石段が現れます。石段手前から左方向には犬走り跡があります。

参道は石段の上で右に曲り、腰郭跡を通ります。
高見城北腰郭
本郭に向けて伸びる石段の途中から見た腰郭跡。(実測図①)

高見城本郭
四津山神社の社殿がある本郭跡。

本郭北方向眺望
本郭から北方向の眺望

本郭南東方向眺望
本郭から南東方向の眺望。さいたま新都心や東京方面のビル群、東京スカイツリー等が望めます。

高見城本郭虎口
本郭跡に残る土塁と虎口

高見城本郭虎口
本郭虎口の外側。神社の女坂になっており、土塁上を通り境内に出られます。(実測図②)

高見城本郭堀切
本郭と隣の小曲輪を隔てる堀切。小曲輪は縁部分が高くなっており土塁跡と思われます。

高見城二の郭
二の郭跡

高見城二の郭虎口
二の郭の西角には明確な土塁と虎口が見られます。(実測図③)

 高見城跡(その2)へ続く

posted by ぱぺすけ at 12:05| Comment(0) | 城跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月06日

もみじロード

 千葉県富津市のもみじロード(県道182号線) を辿り、志駒川沿いの紅葉ポイントを巡りました。

船戸橋付近
船戸橋付近にある崖の紅葉

観音堂(志駒中郷)
志駒中郷にある観音堂のもみじと大銀杏 − 銀杏は、ほとんど落葉しています。

境内は黄葉を敷き詰めた状態です。
観音堂の境内(志駒中郷)

下沢公民館前
下沢公民館前の河原から

日吉神社側の休耕地
日吉神社側の休耕地

山中区公民館から
山中区公民館から見た対岸の紅葉

posted by ぱぺすけ at 18:51| Comment(0) | 渓谷・滝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする