2013年04月26日

後閑城址公園

 群馬県安中市の後閑城址公園を訪ねました。後閑城については、本丸にある後閑城跡之碑に次のように記述されています。(句読点を加筆してあります。)

後閑城は今からおよそ五百年前(一四四五年ごろ)信州御嶽の城主依田忠政が六か年の歳月を費して完成したと伝えられる。その孫光慶が天文七年板鼻の鷹の巣城を築いて移ったため本城は一時北条政時の居城となった。やがて丹生城主新田景純がこれを亡して代り、その子信純は姓を後閑と改めこの地を領有していた。同氏は始め箕輪城の所属であったが、信純の代に武田氏に属し武田今川の合戦に加わり信純はその子久純とともに討死した。後閑城は孫の真純が継いでいたが、天正十年松井田城代津田勝正に攻略され真純も討死し以後廃城となった。

後閑城址公園
西駐車場になっている西第三郭から見た本丸

後閑城址公園案内図
西駐車場に設置されている案内図

後閑城址遊歩道
本丸へ向かう遊歩道

後閑城址百庚申
本丸には百庚申と呼ばれる128基の庚申塔が並んでいます。

後閑城本丸
本丸の東屋と後閑城址公園立体模型

後閑城北郭
本丸北側には北第一堀切があり、奥に北郭が見えます。

ここを西側から見ると次の様に遺構が並んでいます。
後閑城土塁
左から北郭、北第二堀切、土塁、北第一堀切、本丸

後閑城東郭
東郭

後閑城西第一郭
西第一郭

後閑城南郭
西第一郭から見た南郭

後閑城二の丸
二の丸。櫓台には復元された物見櫓があります。

後閑城井戸
東郭群を抜けた谷の部分へ出ると東駐車場近くに井戸があります。

後閑城北第三堀切
北郭北側の北第三堀切。右が北郭、左へ曲がると尾根の東側を北に向かって道が続いています。

後閑城北第二堀切
北郭から見た北第二堀切と郭群

 大変きれいに整備されていて、城の構造が掴みやすい城址公園でした。一方、東の谷にはブルーシートを纏ったいかにも曰く有りげな蒋介石像があり、整備事業をめぐる陰の部分があるのかもしれません。

最後に本丸からの眺望です。
後閑城本丸眺望
本丸や北郭など高い位置からは、西方向に浅間山が望めます。

posted by ぱぺすけ at 16:21| Comment(0) | 城跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月10日

滝田城跡(その2)

 滝田城(その1)からつづき、主郭へ向かいます。

滝田城城門跡
主郭一つ手前の曲輪の虎口には「城門跡」と表示があります。(略図⑥)

滝田城主郭虎口
主郭虎口は城門跡から西にずれており、食い違い構造になっています。

滝田城主郭
虎口とは反対の南端から見た主郭内部

滝田城主郭礎石
主郭には二箇所に礎石が残っています。

滝田城跡擁壁
主郭の南には櫓台がありますが、櫓台の西側斜面は土砂崩落防止の擁壁が設けられています。案内板には搦手への道が工事により消失したと記されています。(略図⑦)

滝田城櫓台
櫓台へ上る遊歩道。櫓台には八幡宮の祠があり、八幡台という名称があります。

滝田城櫓台
櫓台上には送電鉄塔が建っています。

滝田城堀切と土橋
櫓台から南東の遊歩道を下ると、堀切と土橋があります。写真は櫓台に向かって撮影しており、正面の階段は櫓台からの遊歩道、背は展望台の方向です。左に向かうと櫓台南西にあるもう一つの堀切の脇に出ます。

滝田城西堀切
櫓台南西の堀切。堀切の底を抜けたところは擁壁の上部にあたり、消失した搦手への道はここに接続していたのかもしれません。道を左へ向かうと道程にして3km程の宮本城跡に達します。(略図⑧)

最後に展望台へ立ち寄りました。
滝田城跡展望台
南総里見八犬伝の伏姫と八房の像も設置されています。この場所は往時には城外であったと思われますが、遠見山と呼ばれる展望地ですので物見などが置かれていたかもしれません。

 以上は、2013年2月に現地を訪ねた際の記事です。

posted by ぱぺすけ at 17:15| Comment(0) | 城跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月09日

滝田城跡(その1)

 千葉県南房総市の滝本城跡を訪ねました。滝本城については、展望台の解説板に次のように記載されています。

 嘉吉元年、結城合戦に敗れた里見義実は、海を渡り白浜に上陸する。そこから参軍する兵を率いて北進し、千田城、稲村城に拠り、さらに北上して築いたのがこの滝田城である。
 年を下って五代義豊は、従兄弟の義堯と犬掛、川又の野で戦い、敗れて滝田城の西側の谷で自害したという。かくして義堯は里見家の当主となって数年この城に留まり、北進軍の指揮をとったいわれている。


 犬掛の合戦は天文3年(1534年)ですが、その数年後まで使われていたことになります。また、西の尾根伝いの道で宮本城跡と繋がっており、強い関連があったと考えられます。

滝田城跡略図
滝田城跡略図

滝田城跡上滝田入口
県道88号沿いの滝田郵便局の斜め前から細い道に入り、250m程進むと左に携帯電話基地局があります。この基地局の前が滝田城跡入口で、駐車スペースもあります。(略図①)

滝田城馬場
馬場。東西に150m余りの長さがある平場になっています。(略図②)

滝田城馬場物見台
馬場の先端は高くなった物見台ですが、現在は樹木に遮られ眺望は良くありません。

滝田城登城口
馬場の西端にある土塁脇が登城口になっていて、主郭に向けて遊歩道が整備されています。

滝田城虎口
遊歩道を上って行くと虎口が見えてきます。左と正面の崖上には虎口を見下ろす曲輪があります。

虎口を入ると北方向に展望がきく場所に出ます。(略図③)
滝田城眺望
犬掛古戦場を望むことができます。

ここから斜面を上ると武者溜まりに達します。(略図④)
滝田城武者溜まり

武者溜まり東隣の曲輪には土壇があり、「見張台」と表示されています。
滝田城見張台
先程の展望地の背後崖上に当たります。

滝田城旧登城道分岐
武者溜まりから遊歩道を先へ進むと右への分岐があり、「旧登城道」と表示されています。旧道は、少し進むと崖からの土砂で埋まっています。

滝田城涙滝
旧道沿いに「涙滝」の案内板があります。上から覗いた限りでは水の流れなどは見えませんでしたが、名称からすると何か伝説があるのでしょうか。(略図⑤)

滝田城遊歩道
遊歩道は旧道と合流したところから真っ直ぐ尾根上の曲輪に向かっていますが、本来の登城道は屈曲していたと思われます。

 滝田城跡(その2)へつづく

posted by ぱぺすけ at 23:35| Comment(0) | 城跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする