2016年04月23日

東金城址の戦争遺跡

 東金城址に残る太平洋戦争中の遺構を紹介します。

東金城址の戦争遺跡
第二郭南端にある重砲用観測所(地形測量図⑥)

東金城址の戦争遺跡
入口部分

東金城址の戦争遺跡
内部

東金城址の戦争遺跡
正面

東金城址の戦争遺跡
重砲用観測所の西隣にある施設 − 旧陸軍が築いたものと思われますが、用途は不明です。

東金城址の戦争遺跡
第一郭の南西部にある土塁 − 1988年の発掘調査では、旧陸軍による盛土と推定しているようです。

東金城址の戦争遺跡
蛸壺(塹壕)があったことを示す石碑(地形測量図⑦)

東金城址の戦争遺跡
城址入口近くに残る防空壕

posted by ぱぺすけ at 17:40| Comment(0) | 近代史跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月22日

東金城址

 本年(2016年)1月に訪問した千葉県東金市の東金城址を紹介します。
 東金城については、現地案内板へ次の様に記載されています。

 東西約700m、南北約500mの規模をもつ、半独立丘陵の山城。東金酒井氏の本城として、天正18年(1590)まで機能していたことが確実である(「関八州諸城之覚書」『毛利家文書』、「豊臣秀吉朱印状」『難波創業録所収文書』)。本城の初見は、「鎌倉大草子」によると、享徳の乱(1454〜82)の初期、美濃より下向した東常縁の家臣浜春利が拠ったとされることである。昭和63年(1988)に行われた発掘では、15世紀末〜16世紀前半頃とされる瀬戸美濃系の擂鉢の断片が出土している。標高74mの最頂部に主郭をを置き、西側に一段低い細長い第二郭を配する。比較的緩傾斜の北側斜面には、腰曲輪や支尾根の堀切、段差などを設け、防御している。また、西端の尾根に大堀切・竪堀(消滅)を入れ、西尾根続きからの侵入を防いでいる。<後略>

東金城址
現地案内板に掲載されている東金城跡地形測量図 − 赤色の文字・線は加筆です。

東金城址
私有地ですが遊歩道が整備されています。この門は、午後4時まで開いているようです。(地形測量図①)

東金城址
第四郭とされる平場(地形測量図②)

東金城址
南東へ続く尾根(写真右)とは堀切で分けられています。

東金城址
第四郭から南方向の眺望 − この郭は、丘陵下の市街地から比高50m程です。

東金城址
第四郭と第三郭を隔てる堀切 − 右が第四郭です。

東金城址
堀切の端へ行くと、第四郭の足下から東へ延びる尾根に堀切が設けられているのが確認できます。左は本漸寺の境内へ向かう斜面となっており、虎口とも考えられます。

東金城址
第三郭 − 緩やかな傾斜地のように見えますが、藪が深くはっきりしません。(地形測量図③)

東金城址
第三郭の北側斜面では、樹木の間から腰曲輪を確認することができます。奥の建物は、本漸寺の本堂です。

東金城址
第一郭 − 城跡主要部の最高所ですが、樹木と藪に覆われて視界は利きません。(地形測量図④)

東金城址
第一郭の南西側数メートル低い位置にある第二郭 − ここも藪に覆われていて、その広さも分かりません。(地形測量図⑤)

 第二郭南端には旧陸軍が太平洋戦争中に築いた施設が残っており、次回その様子を掲載します。

東金城址
東にある八鶴湖から見た東金城址のある丘陵

posted by ぱぺすけ at 18:00| Comment(0) | 城跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月07日

両総用水の桜

 千葉県香取市の両総用水第一揚水機場近く、導水路沿いの桜並木です。

両総用水の桜並木

両総用水の桜並木

両総用水の桜並木

両総用水の桜並木

この後、古い町並みが残る小野川沿いを散策してみました。佐原の町並み

佐原の町並み

佐原の町並み

posted by ぱぺすけ at 17:23| Comment(0) | 公園 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする