2016年04月23日

東金城址の戦争遺跡

 東金城址に残る太平洋戦争中の遺構を紹介します。

東金城址の戦争遺跡
第二郭南端にある重砲用観測所(地形測量図⑥)

東金城址の戦争遺跡
入口部分

東金城址の戦争遺跡
内部

東金城址の戦争遺跡
正面

東金城址の戦争遺跡
重砲用観測所の西隣にある施設 − 旧陸軍が築いたものと思われますが、用途は不明です。

東金城址の戦争遺跡
第一郭の南西部にある土塁 − 1988年の発掘調査では、旧陸軍による盛土と推定しているようです。

東金城址の戦争遺跡
蛸壺(塹壕)があったことを示す石碑(地形測量図⑦)

東金城址の戦争遺跡
城址入口近くに残る防空壕

posted by ぱぺすけ at 17:40| Comment(0) | 近代史跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月05日

岡堰

茨城県取手市の岡堰を訪ねました。
岡堰は、小貝川の水利を目的の作られた堰ですが、その歴史は380年前に遡ります。
寛永年間江戸幕府の手によって小貝川と鬼怒川が分離され、寛永7年(1630年)川筋が安定したこの地に堰が設けられました。
その後幾多の改修が行われています。

平成8年に竣工した現在の岡堰
岡堰.jpg

堰の上流側にある中の島にはモニュメントが設置されています。
昭和期可動堰.jpg

昭和期の可動堰。記念碑に昭和21年竣工と記されているものの一部と思われます。
遺跡と桜.jpg


明治期煉瓦.jpg
明治期の煉瓦堰の一部

間宮林蔵はこの近くの生まれですが、堰の普請をしていた幕府の役人に才能を認められて江戸に出ました。
間宮林蔵像.jpg
江戸の方向を見つめる間宮林蔵像

現行の可動堰.jpg
現在の岡堰。白い飛沫が見える箇所から水が落ちて行きます。

posted by ぱぺすけ at 19:52| Comment(0) | 近代史跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月07日

佐倉城址公園

ここは江戸時代には佐倉城があり、明治初めから昭和20年までは旧陸軍佐倉連隊が置かれていた場所です。近世と近代の遺構が混在し、見所がたくさんあります。

まず佐倉城の遺構から紹介します。
馬出し空堀
馬出し空堀。きれいに復元整備されていますが、往時は現在よりずっと深かったようです。この左手に国立歴史民俗博物館があります。

礎石展示
佐倉城の建物に使われていた礎石。旧陸軍の兵舎建設の際に流用され、国立歴史民俗博物館の建設時に発掘されたものが二の丸跡に展示されています。

礎石の中には、柱などを固定したと思われる丸や四角の穴が開けられたものがあります。
礎石丸穴
礎石角穴

天守閣跡
本丸の天守閣跡。文化10年(1813年)に火災で焼失するまで、三層の天守閣があったと伝えられています。

姥ヶ池
悲しい伝説がある姥ヶ池。東側は菖蒲園になっており、往時は湿地帯であったと思われます。

続いて旧陸軍佐倉連隊に関する遺構です。
12階段
姥ヶ池と同じ低地にある12階段。兵士の訓練に使われていました。

厚生省境界杭
12階段の傍にある厚生省と刻まれた境界杭。戦後、二の丸跡にあった佐倉陸軍病院と共に他の佐倉連隊施設も厚生省に移管され、国立佐倉療養所となりました。

脂油庫
脂油庫。武器の手入れに使われた油脂類を保管していた倉庫と言われていますが、現在は野良猫の住処になっています。

弾薬庫跡
弾薬庫跡。佐倉城の三の丸の一部ですが、北を姥ヶ池、東と南を土塁と空堀に囲まれた万が一を考慮した場所です。

弾薬庫コンクリート
弾薬庫跡に残っている構築物の一部と思われるコンクリート片です。

車道碑
車道の碑。国鉄佐倉駅方面からの物資搬入を容易にするために設けられた新道を記念して大正9年(1920年)に建てられました。

兵士の落書き
兵士の落書きがある本丸跡のモッコク。右側の木には「本丸」「昭十八年十月」「砲隊」と刻まれています。

兵営便所跡
芝生広場の脇にある兵営の便所跡。確かにここに兵舎があったことを示す遺構です。

軍犬軍馬の墓
軍犬と軍馬の墓。建立後動かされたのか、前後付くように置かれています。

軍馬墓石裏面
軍馬の墓石の裏側。前にある軍犬の墓は昭和7年(1932年)に建てられています。


posted by ぱぺすけ at 11:00| Comment(0) | 近代史跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする